宗運寺について

宗運寺について

第二十一代 住職 ご挨拶


宗運寺イメージ写真   宗運寺ホームページへお越しいただき、ありがとうございます。
この宗運寺がある嬉野は、佐賀県でもっとも長崎寄りの温泉地であり、
お茶・陶器が有名な場所でもあります。
宗運寺はその温泉地が一望できる山の中腹にあり、この場所で約400年、
お釈迦様のみ教えを伝え続けているお寺でございます。
特にお釈迦様が説かれた阿弥陀仏という仏さまを信じ、南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)という
お念仏を称える浄土宗でございます。
この嬉野は大変な田舎でございますが、都会と違って自分自身をゆっくり感じ、
見ることができる時間があふれております。
このホームページをご覧になった皆様方もこの嬉野で感じることのできる、
ゆったりとして落ち着いた(まるで故郷に戻ったような)心持ちになられたらと思っております。
ナムアミダー


樹齢約320年のイチョウの木


寺院中央には樹齢約320年のイチョウの木があります。
秋になると葉が黄色く色付き、はるか遠くからでもその美しい黄色がわかるほどの大きさがあります。
宗運寺と共に歩んできたイチョウの木が、様々な想いを持たれた方の心を温かく見守り優しく包み込みます。
  宗運寺イメージ写真


宗運寺との関連

嬉野大和守通純(うれしのやまとのかみみちずみ)

宗運寺イメージ写真   実は大村氏の子なり
天正四年(1576年)横沢城の合戦で治乱記に名前が登場するのは、
宇礼志野越後守直通、同名陸奥守通益、同子息与右衛門尉、
同名大和守の四名であります。
越後守直通は合戦半ばに突然、龍造寺方に翻った一人です。
最初から龍造寺方と示し合わせていたのは陸奥守通益(玄可)と、
その子息与右衛門尉です。
これに同調したのが大和守直純であったと推察されます。
嬉野系図には大和守は大村殿の養子で、初めは鷺ヶ岳の城主とあります。
この鷺ヶ岳は鳥坂村にあります。


徳島治部太輔 永田左京亮 吉田太郎右衛門尉 嬉野淡路守
嬉野左衛門助 嬉野大和守
これは嬉野大和守通純の墓碑に書かれた文字です。
墓碑は嬉野町上岩屋の岩泉庵にあり、その子孫は鍋島直茂が元茂に預けた
八十三士衆の中にいます。
嬉野小右衛門(嬉野大和守子)で嬉野彦左衛門長亮の祖となります。
嬉野大和守の墓碑は、戦後に上岩屋の岩泉庵墓地から下岩屋の宗運寺に
移されています。嬉野大和守通純が、世の無常を悲しみ、仏弟子となり、
「宗運」という戒名を授かり、寺を建てたことが、この宗運寺の始まりであります。
  宗運寺イメージ写真

供養、葬儀で大切な人との最後の思い出を嬉野市の宗運寺が贈ります。

嬉野市の宗運寺の葬儀で故人との最後の思い出を、
残されたご家族が安らかな気持ちで故人を想い、偲ぶことができるように、
滞り無く行っております。
嬉野市の宗運寺の葬儀で故人を安らかな眠りを見送りましょう。

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